ワイの生い立ち6(多分これが最終章)

今回は26~現在までですね。 とある、製造業に居たワイに知り合いのツテで、ある大手重厚長大産業の子会社で仕事しないか?というお誘いがありました。ヒントとして、2012年にA社とB社が合併して出来た会社です。 このお誘いは別に乗り気ではなかったのですが、30までは色んな事をしようと考えていたワイは興味半分で話に乗りました。こういっては反感を買う可能性もあるかもしれませんが、嫌ならやめよう!っていう信念が常にあるので。 それにその会社ってのは、本当まだ絵に描いたような終身雇用と年功序列、日本のルールや法律通りに動く会社でして、この平成の世にまだ昭和的な価値観やシステムで機能している、多くの日本人が理想(実際は虚像)としている労動のユートピアが実在しているのか?という興味や潜入活動的な意味もありました。 で、まぁー仕事内容としては湾岸荷役作業です。要は船で運ばれてくる物をクレーンで陸に降ろすという作業。それの三交代作業でして、朝番、昼番、夜勤って感じです。会社カレンダーで動くので正月もGWも盆もありません。 ただし、有給休暇とかは普通に取れてたし、仕事が無い時は定時時間よりも早く帰れるし、勤務中でも仕事が重要ではない時は一日中携帯触ってスマホゲームが出来る環境でした。こんな環境は労働者にとっては良いほうかもしれませんが、そんなスマホゲームしながら金もらえるって明らかに人生を無為にしているよなって常々思ってました。 このまま、ここ居ても何も得られないなぁーみたいな。 …

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ワイの生い立ち5

今回は20代前半の事ですね。 大学時代は色々悩まされましたが、大学4年ともなれば就職活動があるわけです。ワイの世代はそこそこの売り手市場だったため、Fラン大学生のワイでも何とか就職できました。その就職先は某ITメーカーでして、企業向けのソフトを販売している会社でした。職種は営業です。 これが中々の企業でして。何故か自衛隊研修なるものもあったし、わけの分からない研修も盛りだくさんでした。この研修期間中からワイは「これはないなー」なんて思っていたので、ワイの中でもここは長く居るような場所ではないなっと思ってました。 で、一応全国的に営業所がある会社だったので、配属は全国の営業所のどこかになるわけで、その配属先は栃木県でした。正直、縁もゆかりもない場所だったので、それはそれで良かったです。というのも、一応、関東だし、足伸ばせば東京に行ける場所ですからね。そういう意味では良かったです。栃木ですが、ワイは個人的には良い所だったと思いますし、今もたまーにあそこにもう一度住みたいとは思います。 しかし、仕事は9時から21時、22時、23時とかいう感じで休日出勤もちらほら。数字に詰められるなんて事はなかったけど、仕事に希望が無かったので、面白くなかった。ワイが辞めたのは就職して1年半後でしたが、それまでに25人位居た同期という人達は5人は辞めていました。他にも鬱病になった子もちらほら居たので中々"パンチ"の効いた会社だったということでしょう。 まぁ、世にいうブラック企業ってやつかもし…

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ワイの生い立ち4

さて、次は大学生活編ですが・・・。大学生活と言えば、人生の夏休み!まさに未成年と成人の美味しいところだけを組み合わせたような大学生活が待っていると思う人もいるかもしれませんが、そんな事はなかった。むしろ、地獄でした。 何故、地獄だったかと言えば、この時のワイは他人に自分の事をあまり喋りたくなかったんですよね。それは行っている大学の知名度の無さの一言に尽きる。まぁ、そこは頭のいい大学でも無かったし・・・。 で、何故自分の事をあまり喋りたくなかったかと言えば、合コンだなんだをするわけじゃないですか。この時期に。その時に「大学どこ?」とかいう話になって、「◯◯大学」とかなった時に、相手が知らなさすぎて、話にならないんです。(これは相手が悪いわけではない) 「え?どこそれ?マイナーすぎて怖いんだけど」みたいな。そういうオーラというか雰囲気が返ってくるのです。この感じとか反応はハンパなく孤独ですよ。 その結果、合コンだ初対面の人間と話す時、いつも「大学何処?」って聞かれるのが恐怖でしかなかった。これは学歴コンプレックスとかそんなのではなく、ネームバリューコンプレックスと言った方が適切かもしれない。 好きの反対が嫌いではなく無関心であるように、この時に一番痛感したのは馬鹿な大学とか頭のいい大学とかそんなのはどうでもいい。馬鹿な大学行くなら、せめて皆が知っていることが一番大切。よって、馬鹿でも何でも世間的に認知度の高い大学に行くべきだった・・・。と凄い後悔しました。 世間的・…

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ワイの生い立ち3

えーっと、次は高校編ですね。 まぁ、滑り止めの高校に進学したわけですが、ここは今にして思えば、人生の中で二番目に楽しかった時期かもしれません。校内での淡い青春の恋模様はなかったですが、それでも他校の彼女が出来たし、色々あって、こんなワイにアタックする女の子が現れたりしたのですから(その子はシンナー吸ってる娘だったけど) この頃のワイはまたしても、勉強をさぼりオツムの方も弱体化。赤点を取ったちゃったりする生徒でした。あと、ちょっとやさぐれていたかもしれません。ともかく、無気力という言葉はワイのためにあるという位、全てにやる気がなかったです。 前に記した、家庭の事情で金がなかったからという訳でもないけど、アルバイトを始めたんですね。マークドナールドで。当時はまだ時給650円の世界でしたから、どれくらいの時間働いていたか覚えていませんが、月にして、5万、6万は得ていたと思います。高校生にしては良い金額だったと思います。 このアルバイトの経験は今に活きているなーなんて思います。その理由として、飲食業は割に合わないよなって知ることが出来たからですね。 そこの社員は手取り10万くらいで、週休1日とかだったと思います。社宅的なものには入居しての手取り10万ですが、それでも"色々とないなー"なんて感じました。 一応、マクドナルドの小ネタとして一個書けば、その当時の期間限定メニューってのは当たりハズレが激しかった。月見バーガーみたいのはこれでもか!ってくらい注文くるけど、その他の…

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